〜阿波の狸合戦〜

このブログはCASTERにとって、日記であると同時に、何かの事柄に
対するまとめの役割を果たしている。
今日は阿波の狸合戦についてまとめておこうと思う。


金長狸

江戸時代の末頃、日開野に金長という狸が住んでいた。
ある時、村の子供達が枯れ葉を燃やし、穴の中の金長を
いぶり出して苛めていると、日開屋の染物屋「大和屋」
の主人・梅山茂右衛門が通りかかり、哀れに思って命を助けた。
恩義を感激した金長は主人を慕って住処を茂右衛門宅の屋敷内に移し
一生懸命働いてこの家の商売繁盛へと導くのであった。



■六右衛門狸

天保10年、金長は狸の大将津田の六右衛門のところに出向き
鎮守の官位を得たいと許しを願った。才智才能に優れ、腕も立つ金長に
心中ひそかに恐れをなした六右衛門は娘狸の鹿の子姫の養子に迎えて
身内にしておこうと企むのであった。六右衛門は大将狸といえども
悪行非道なところがあり不快に思う金長はこの話を辞退するのであった。
六右衛門は、金長に野心がありこのまま生かしておけぬとひそかに
官位を授ける前夜に亡き者にしてしまおうと考えた。常々父の非道な
ふるまいに心傷めていた鹿の子姫よりこの企みを告げられた金長は
六右衛門が襲ってくるのを待ち伏せた。
六右衛門は60匹の軍勢を率いて金長勢を急襲、この戦いで金長方の子分
鷹狸はあえない最後をとげた。猛烈な金長方の反撃に六右衛門勢は
津田の穴観音へ撤退した。


鷹狸の哀れに涙した金長は仇討ちしようとひとり穴観音に向かうのであった。
そのとき六右衛門の娘狸鹿の子姫があらわれ穴観音には幾百の敵が集まり
危ない故おもいとどまるよう懇願すると哀れにも津田川に身をすててしまった。
津田穴観音の一部始終を、鷹狸の子小鷹、熊鷹をはじめとした
阿波国南方の古狸達に語った金長は六右衛門討伐の兵を挙げる。
浜手と山手に阿波国の狸を二分する大合戦となった。



■阿波の狸合戦

舞台となったのが、勝浦川と千代ヶ丸付近となっている。
浦川右岸は金長勢、左岸は六右衛門勢。四国中の名だたる古狸が結集し、
狸支配の命運をかけて、関ヶ原の合戦よろしく戦いがくり広げられた。
両軍勢に参加した古狸の名が残っている。

金長側は、 輸送隊隊長の四輪狸、
       佐古の親分だった庚甲新八狸、
       旗頭の松平狸。

六右衛門側は、大将に権右衛門狸、
       軍師に川島町の狸吉右衛門狸、
       四天王の九右衛門狸、
       六右衛門の息子、千住郎狸。

もう少し詳しく書くと、

【金長軍】
金長狸   (小松島市日開野):小松島の狸の親分格。
鷹狸〈大鷹〉(小松島市日開野藤の樹寺):金長の補佐役。金長の身代わり
       になって戦死。  
小鷹狸   (同):二代目金長。鷹狸の子。
熊鷹狸   (同):鷹狸の子。
衛門三郎狸 (小松島市中の郷地蔵橋):正二位の古狸。
火の玉狸  (小松島市中の郷天神の森):火の玉の使い手。
金の鶏狸  (同):火の玉の兄弟分。
お山狸   (小松島市又八幡の鳥居前):女狸
隠元狸   (徳島市沖州高須):金長軍参謀役の古狸。
太左衛門狸〈田左衛門〉(田浦):阿波南方の総師。北辰一刀流の使い手。
庚申の新八狸 (徳島市佐古の天正寺):佐古界隈の頭領。
お松狸    (徳島市佐古の臨江寺):新八の妹。
小鴨狸    (水越):石投げの名人
高塔狸    (芝生):石投げの名人
お玉狸    (根井):石投げの名人
赤門狸    (徳島市寺島):徳島からの応援軍
帽子狸    (八の丸):(同)
お六つ狸  (徳島市寺町の妙長寺):(同)
八幡狸    (八幡の森):(同)
円福狸    (徳島市八万夷山):(同)
地蔵狸    (小松島市立江寺):小松島からの応援軍。

【六右衛門軍】
六右衛門狸 (徳島市津田山穴観音):四国の総大将を名乗る。
小芝姫狸  (同):六右衛門狸の子。
千住太郎狸 (同):六右衛門狸跡取り。
小鹿の子狸 (同):小芝姫の乳母。
鹿の子狸  (同):小鹿の子の夫。
九右衛門狸 (川島):家来の四天王。  
作右衛門狸 (同):家来の四天王。九右衛門の弟。
八兵衛狸  (香川県屋島):家来の四天王。
役右衛門狸 (香川県多度津):家来の四天王。
高坊主狸  (徳島市新浜町千切山):背の高い坊主に化ける。
芝右江門狸 (淡路千山):六右衛門の妹婿。淡路の狸の大将。
葭右衛門狸 (川島):九右衛門の父。金儲けの上手な狸。
八蔵狸    (徳島市津田山穴観音):使い走り。

【その他】
権右衛門狸 (徳島市津田山穴観音付近):茶店の親父。
千鳥狸   (同):茶店の娘。
八毛狸   (香川県屋島):四国の総大将。仲介役。
犬神刑部狸 (愛媛県九谷熊谷):中国地方まで取り締まりをしていたが死亡。
安右衛門狸 (北方)
当千坊狸   (高島)


互いに死力を尽くしての激戦となり、戦いは三日三晩続いた。
浦川の清流は真っ赤な血で染められ、跡には屍が累々と川床を埋めたという。


この戦いを「阿波狸合戦」といい、金長軍が死闘を制した。


金長は六右衛門に一騎打ちを呼びかけ、激闘の末、六右衛門を討ち取るが、
自らも致命傷を受け、せめてご主人の茂右衛門に別れを告げようと、
日開野へ戻った。梅山家凱旋を果たしたものの
「私の命はもはやここまで。我死すとも永久に
梅山家の守護神として報恩させて戴きたい。」
と言い残してついに絶命した。
彼の生き様に感激した茂右衛門は、正一位金長大明神として長く祭った。

六右衛門の跡目は息子の千住郎狸が継いだ。

その後、二代目金長と六右衛門の子・千住郎狸が日開野で弔い合戦をし、
讃岐屋島の八毛狸の挨拶によって和解したという。


■伝承

この話が纏められたとされるのは江戸末期、これを世に広めたのが
明治四十三年発行の講談本『四国奇談 実説古狸合戦』である。
さらに昭和十四年、この話を基に映画『阿波狸合戦』が作られ、
空前のヒットを記録。当時、制作した映画会社は倒産の危機に陥って
いたが、これで持ち直したため、狸のご利益か、はたまた狸に化かされた
のかと話題になったという。以後、続々と“狸もの”の映画が制作公開
され、最近では、アニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』が記憶に新しい。


■あとがき

この話は幼少時代に祖父より聞いた。
懐かしいのでいろいろなサイトから話を調べてまとめてみた。