〜JAS王国衰亡の歴史〜

陰謀と怨念渦巻くAOM界におけるJAS王国正史。


JAS王国の起源がいつであったか、確かな証拠はありません。


ただ、青ナイルと白ナイルの交わる湿地帯に起こった農耕文明が
最初だったことは歴史家達の間で共通した意見です。


JAS王国はイシスの神を崇める民によって成り、外敵から隔離された
その地で平和な国家が築かれました。
外敵の脅威のないJAS王国では宗教に莫大な富が費やされました。

聖職者が軍を指揮し、王国の中心には常に巨大なモニュメントが
建築されました。


偉大なJAS王は、神を崇めるモニュメントによって、他の神から
国を守ろうと考えたのです。




周辺諸国との小競り合いはありましたが、JAS王国の平和は数百年
続いたと言われます。
JAS王は戦いを嫌い、争いの解決に軍を出すのは最終手段として
いました。軍を出すのが常に一歩遅いと感じ、不満を持っていた
当時の領主達の上申書が現代にも多く残されています。



しかしある時、一人の男がJAS王国に取り入り、そこから王国の苦難の
歴史が始まったのです。



男はJAS王の執事を名乗り、次第に王国の実権を握るようになっていき
ました。執事は軍の実権をも掌握し、周辺諸国を次々と打ち破りました。


当然JAS王自身も軍の一部を親衛隊として自らの周りに配置していました。
しかし争いから遠ざかっていた王の親衛隊はあまりに脆弱でした。


ある日、王の軍がJAS王の住むミグドル城砦を取り囲みました。
そして王の退位を迫ったのです。



JAS王は眼下に迫る叛乱軍に向けて言い放ちました。
「我が軍には臆病者はいない」



しかし兵力で劣り、長く戦乱から離れた親衛隊は簡単に敗北しました。
そしてJAS王は遂に降伏やむなきに至ったのです。



このとき叛乱軍を指揮した男こそ、JAS王の執事を名乗ったあの男でした。
名をCASTERといいます。

北方の神、ロキの僕である彼はJAS王国を内部から崩壊させ、自らの
国を打ち立てました。
これがCASTER王国の起こりと言われています。




それからJAS王国は長くCASTER王国に従属しました。
軍を整えようとするとCAS王から詰問され、条約違反として王国軍による
攻撃と略奪、そして虐殺の憂き目にあいました。




それでもなお、JAS王国の民は生き続けました。
その間もCASTER王国は各地で他国を打ち破り、CASTERは覇者と呼ばれる
こととなりました。
このとき、CASTERは自らを皇帝と名乗りました。



神聖CASTER帝國による恐怖の統治が始まったのです。




JAS王国は、王権を放棄しました。
動物を愛する国としてJAS動物公園として名を変え、国家であることを
放棄し、帝國の目を欺こうとしました。
(正式名称はJAS鶴見動物公園であるとの説もあります)
それでも帝國はJAS王の叛乱に常に目を光らせており、
独立は夢のまた夢でした。



しかしJAS王は一計を案じます。



ある日、JAS王は皇帝CASTERへ贈り物をします。
それは領内で作られた最高の酒でした。


皇帝は神すらも酔わせるその酒に舌鼓を打ち、いつしか酔いつぶれて
しまいました。



皇帝が酔って寝ている間、皇帝の部下が国を統治しました。
しかし偉大な皇帝の統治に全てを委ねていた部下達には、到底広大な
領土を掌握することなどできなかったのです。



JAS王は帝國に隠れて軍を整えます。
そして間髪いれず帝國へ向け、進撃しました。


帝國の部下達は予想外の叛乱に驚き、防御を固めました。
常に攻撃的だった皇帝と違い、彼らは通念にこだわりつづけました。

「皇帝の兵が敗れたことはない。防御を固めて皇帝が起きるのを待とう」



しかしJAS王の攻撃は熾烈を極めました。



ようやく皇帝CASTERが目覚めたとき、すでにJAS王の軍勢は城門を突破し
かけていました。
皇帝は叫びます。何故自分を起こさなかったのか、と。


しかし部下達は誰も答えませんでした。
強大な権力を握る皇帝の眠りを妨げることなど、誰にもできなかったのです。



勇猛な帝國軍は果敢にJAS軍を防ぎ続けました。
しかし準備を万全に整えたJAS軍は、遂に帝國の城門を打ち破りました。



皇帝は裏門から逃亡、北方の帝都まで逃げ帰りました。
こうして神聖CASTER帝國の版図は遂に無限に続くとも思われた拡大をやめ、
初めての縮小を見せたのです。



JAS王国(実際はJAS鶴見動物公園)はナイルのほとりに新たな王国を
築き、繁栄しました。



王国を脅かすRS一族やPIE王国との戦争で、一時は衰退もしましたが、
ある日、王国軍は再び奇跡を起こします。



かつて神聖CASTER帝國を打ち破った地中海のほとりで、今度は
AODEA革命共和政府の軍に勝利したのです。


AODEA革命共和政府は議会政府からなる強力な国家でした。
この国を打ち破ったことは周辺諸国にとって意外であるとともに、
JAS王国の復興を認めざるを得ませんでした。


この2つの勝利がその後のJAS王国の歴史を変えたのは間違いあり
ません。
PIE王国の歴史書にはこう書かれています。
「砂漠のほとりより出でた雲霞のごとき軍勢が巨像を二度倒した。
人々は祈り、産み、育ち、戦い、そして自由を得た。」



後世に「鶴見の奇跡」として伝わる名文です。



その後、JAS王国がどうなったかは今となっては知るよしもありません。
偉大な王の死後、分裂したという説もあれば、再度到来した神聖帝國に
よって滅ぼされたとする説もあります。