〜その1 2002年のあのとき〜

2002年は忘れられない年だった。
日韓共催のワールドカップがあり、当時のCASTERも熱狂したものだ。


■ドーハ

1993年にドーハの悲劇があり、
その4年後にジョホールバルの歓喜があった。

そして初めて望んだ1998年フランス大会、
予選リーグでアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに三戦連敗。

今考えてみると凄まじい敵だ。
絶対リーグ突破不可能だろ、この組み合わせ。


トルシエ就任

そしてフィリップ・トルシエが代表監督に就任。
フラット3という布陣は物議を醸しだしたりもしたが、
トルシエと歩んだ4年間は価値あるものだった。
コンフェデレーションカップ準優勝などの経験をふまえ、
遂に2002年を迎えたのである。



■ワールドカップ2002

当然我がクラス内でもワールドカップ人気は沸騰。
クラス内でトトカルチョをすることになった。



当然人気が集まるのは強豪、アルゼンチン、フランス、イングランド・・・
というわけでそこらへんに賭けても配当が少ない。
CASTERはあえて古き名門、ブラジルに賭けた。
1−2位を1口500円の連複で賭けるこのシステム。
CASTERはブラジル流しに5000円をつぎ込んだ。



そして予選でアルゼンチンが破れた。
誰も予想しえなかったこの波乱。
いきなり予選リーグで賭けから脱落する者もいた。

当然、日本は応援していた。
当時解剖実習中だったCASTERも、日本の試合がある日は
ビールとピザを買って友人宅に集合し、みんなで見たものだ。



■2002日本代表


しかし予選リーグの日本はアツかった!
日本というサッカー後進国が、決定力がまるでないこのチームが、
ホームという好条件をさしひいても素晴らしい試合をやってくれた。
得点が入るたびに友人宅のマンションで
「ぐあああおあおあおあおあおあお」
という雄叫びが聞こえ、隣の部屋からも
「あきゃあああぁぁぁああおあおあおおあ」
という雄叫びが聞こえたものだ。


日本が残念ながら途中で敗退したが、
ワールドカップで日本が決勝トーナメントに再び顔を出せる日はまた
来るのだろうか?
日本中が燃えた2002年の日本代表は誠にアツかったし、
そういう意味でトルシエは(フラット3は未だに懐疑的だが)名将といえる。
トルシエがいたころは日本代表のサッカーはアツかった!
頼むぞジーコ
あんたちょっと頼りない感があるよ!!



■決勝へ


そして決勝トーナメントは進み、
運命の2002年 6月 21日, 15:30である。
ブラジルvsイングランド戦。

事実上の決勝戦といわれたこの試合でブラジルは勝利を収める。
イングランドが負けた!!
そしてここでかなりの賭け脱落者が出た。


また、2002年 6月 25日に行われたドイツvs韓国戦。
こちらもホームとあって、準決勝まで勝ち抜いた韓国も、
ついにドイツの前に敗退した。


決勝はブラジルvsドイツ!!


実はこの時点で、賭けのCASTER一人勝ちが決定していた。
ブラジルはその予選での苦戦から、CASTER以外誰も賭けてなかったのだ。
しかもブラジル-ドイツ、ドイツ-ブラジル、どちらの方式も
CASTERしか賭けていない。

こうしてCASTERは決勝が始める前に賞金5万円弱を手にしたのだった。


■そして次のワールドカップ

決勝はブラジルが史上五回目の優勝を決め、
1998年フランス大会での雪辱を晴らした。


サッカーはやはりワールドカップがアツい。
国家間での戦い、自国を背負った戦いというのは基本的にアツイのだ。


だからオリンピックも盛り上がる。
国を背負っているからだ。


少し小規模な話だが、高校野球が盛り上がるのは「地元」を背負っているからだ。
徳島でいえば「池田高校」。
「池高」がいたころの徳島高校野球はまさに最強だった。
ぐああ、あのころの「池高」がもう一度みたい!
甲子園で池高校歌をもう一度聴きたい!
が、その話はまた今度にしよう。


そして同じ理由で、日本のプロ野球は盛り上がらない。
地元に野球チームがない県としては、どうも実感にかけるのだ。
そういう意味では、「まだしも」、Jリーグのほうがいい気がする。
CASTERはJリーグ興味ないが。


次のワールドカップが待ち遠しい。
またあの興奮が味わいたい。
そしてその場に日本代表がいてくれたら、願ってもないことだ。


よければ次のHPを見て欲しい。
歴代のスーパーゴールが動画で見える。
ペレのゴールなんてほとんど「キャプテン翼」並だ!
http://2002.fifaworldcup.yahoo.com/02/jp/pf/h/gotc/launch.html#