〜その1 海賊共和国〜

最近、トロピコ2という海賊王ゲームにハマっている。
どのようなゲームか、は
http://www.4gamer.net/review/tropico2/tropico2.html
を参考にしてもらえば一目瞭然である。
SIMCITYなどとは違う、支配者階級と奴隷階級による町作りが楽しめるのだ。

しかしこのような海賊島などというものは本当に実在したのだろうか?
ゲームの中だけの話ではないのだろうか?
手元にある文献を紐解き、海賊島、あるいは海賊王伝説に迫ってみようと思う。



■海賊黄金時代

海賊は世界の海に出没する。
しかし、海のならずもの達の血塗られた記録の中でも、とくに目立って華やかな時期がある。
18世紀の初頭、「海賊の黄金時代」として知られている、短いが輝かしい時期である。
このわずか30年ほどの間に、おびただしいほどの海賊がカリブ海を跳梁跋扈した。


絵画や文学、映画などが描く古典的な海賊のイメージは、この黄金時代がもたらしたものである。
今日の我々にとっておなじみである、「あの海賊のイメージ」は、1722年の海賊大量処刑によって海賊黄金時代が終わりを告げるまで海を荒らし回っていた。




18世紀に起こった戦争は、全ヨーロッパを巻き込んだ。
当然、大国イギリスとスペインも巻き込まれたし、スペイン領であるアメリカにまで戦争は広がった。
スペイン領アメリカの支配と貿易独占をめぐり、英仏が18世紀全体を通して紛争を起こしていた。

この時代、「私掠船戦術」が用いられた時代である。



■私掠船とポート・ロイヤル

私掠船。つまり、国家の後ろ盾を元に、敵国の商船を襲撃するという、いわば国家公認の海賊である。
トロピコ2においても、3大国のいずれかと協調関係を結ぶことで、私掠船認可条を発行してもらえる。
この戦術がカリブ海において大いに流行する時代があった。

この時代にイギリス系の海賊にとって基地となったのが、かの有名な
「ポート・ロイヤル」
である。
同じ名前のゲームも存在する。
http://www.capcom.co.jp/pc/port2/

500隻の船が停泊できる広大な港。
カリブの海運ルートの中央に位置するという理想的な地の利。
まさにポート・ロイヤルは私掠船海賊にとっての天国となった。

売春宿、賭博場、居酒屋が雨後の筍のごとく出現し、海賊達はそこでたっぷりと金をまき散らした。
ここを拠点とした海賊達で、トロピコ2に登場する海賊達として、ロッシュ・ブラジリアーノ、ヘンリ・モーガンがいる。


ポート・ロイヤルで聖職者となるため到着した牧師は、やってきた船と同じ船でそのままイギリスへ戻ってしまったという。
「ここの住民の大多数は海賊、人殺し、売春婦をはじめ、世界で最も堕落した人々から成っている。私がここにいても何もできまい」と言い残してw



しかし、1692年、地震津波がポート・ロイヤルを襲い、町は海に消えた。
人々はこれを「新世界のソドムに対する神の審判」と噂しあったという。



■私掠船から海賊へ!!

しかし、1713年にユトレヒト条約が締結され、スペイン王位継承戦争が終結する。
すると、同時に私掠船の船員達は、戦争が終わった今、多くはまっとうな職も見つけられずに大西洋のかなたで放り出されたのである。
追いつめられた彼らは、カリブの海を舞台に、ちっぽけな帆船と一枚のドクロの黒旗を掲げ、「全世界へ宣戦布告」していった。

しかも、ヨーロッパ各国は、戦争が終わったとはいえ、新大陸における力の空白地帯が芽生えたカリブ海を手中にしようと謀略を繰り返していた。
その状況下では、自国の敵国を勝手に襲ってくれる海賊達は、むしろ喜ぶべき存在であった。


このように見て見ぬふりをされた海賊達。
そして海賊の黄金時代が幕をあげたのである。



■ニュー・プロヴィデンス

この異常な時期に、海賊の活動は基地があってこそ成り立っていた。
最も重要な基地はバハマ諸島のニュー・プロヴィデンス港である。
ニュー・プロヴィデンス港は海賊にとって完璧な港だった。
500隻もの海賊船が停泊でき、しかも追跡してくる軍艦には浅すぎた。
食料は豊富で、地の利は良好。
海岸にそって粗末な居酒屋が次々と建ち並び、売春婦や浮浪者、野良犬、ネズミがこれに加わった。
商人や貿易業者が集まるようになり、海賊に必要な品を供給したのち、持ち込まれた掠奪品を購入していった。


イギリスの海賊首領トマス・バロウとベンジャミン・ホーニゴルドは自らニュー・プロヴィデンス総督を名乗り、「海賊共和国」を宣言した。



海賊王、ならびに海賊島は実在したのである。



キャリコ・ジャックや黒髭といった有力な船長達がこれに加わった。
新世界のありとあらゆる箇所からやってきた無法者達で、この共和国の人口はふくれあがった。


航海のあと、海賊達はニュー・プロヴィデンスでの休暇を楽しみにしていた。
ここにさえ戻れば、ゆれる椰子の木の下でハンモックに横になって眠り、売春婦はたくさんいるし、賭け事は四六時中楽しめる。仲間の海賊といっしょに騒ぎ回れるし、しかも無制限に酒が飲めるのだ!



■黄金時代の終わり

黄金時代の最後の海賊として、バーソロミュー・ロバーツがあげられる。
トロピコ2にも登場するが、彼は最後の海賊であり、そして最大の海賊だった。
彼こそ「大海賊ロバーツ」と呼ばれ、「海賊王ロバーツ」と呼ばれた人物である。


「ブラック・バート」と呼ばれた彼の活躍はめざましい。
フランス領リーワード諸島の総督の報告書によると、1920年10月末、ロバーツの海賊団はたった4日のうちに「フランス船、イギリス船15隻と42門の大砲を積んだオランダの侵入船1隻を捕獲」したという。

また、たった一隻のスループ船で22船を拿捕することに成功したこともあった。彼のスループ船の乗組員はわずかに60人、一方相手の船には1200人以上の人々が乗っていたが、ロバーツはドラムとトランペットを力いっぱい吹き鳴らさせ、その大音響におびえた相手の乗組員たちは思わず逃げ出し、ロバ−ツはそれら全てを捕らえた。




しかし、不敗の海賊と謳われたロバーツにも終わりの時はきた。
1722年、英国海軍の軍艦スワロー号に発見されたとき、彼らは前の日の獲物から奪った酒を飲んで猛烈な二日酔いのさなかにあった。
最初ロバーツは逃走しようとするが、彼は途中で予定を変更する。


結局これが偉大なる海賊の命取りとなった。


操舵手に命じてスワロー号へまっすぐ向かっていき、2隻の船が接近すると、ロバーツは自ら砲車に飛び乗り、大砲を発射した。
スワロー号も舷側砲の一斉射撃でこれに答えた。
砲撃がやみ、硝煙が晴れたとき、彼らが見たものは甲板の上で喉をぶどう弾に切り裂かれたロバーツの遺体だった。

部下たちは泣きながらこの大海賊の遺体を舷側から海へ投げ込み、衣装、装飾具、武器も共に海へ投げ込んだ。
こうしてわずか4年足らずで400隻以上の帆船を拿捕したロバーツの生涯は終わった。
その後、ロバーツの部下達はスワロー号に降伏した。


生き残った264人の海賊は西アフリカのコースト城塞にて史上最大の海賊裁判をうけた。
法廷に引き出された165人のうち、54人が死刑を宣告され、2人が執行猶予を与えられた。
楽士を含む74人は放免された。
17人はロンドンの監獄へ送られたが、4人を除く全員が護送途中で死んだ。
コーストの鉱山で7年の重労働を宣告された20人のうち、刑期を終えるまで生き残った海賊は一人もいなかった。

1722年4月、19歳から45歳までの海賊52人が2週間に渡って1群ずつ「犬のように」吊されていった。



こうして海賊の黄金時代は終わりを告げた。



その後も散発的に海賊行為が行われ続けたが、海賊行為が国際政治や経済政策のうえで重要な要素となり、大衆の心を魅了した時期は二度と訪れなかった。




いやー長く書いてしまった。
いろんなところから引用したが、自分なりにきれいにまとまったと思う。
また機会があれば、海賊のことについて書こうと思う。