〜その3 MOHAA、UBCSあけぼの編〜


今日はおなじみのMOHAAについて書こうと思う。
長年やったゲームだし、クランでの生活も長い。
今日はUBCSに入った初期のころの日常を、裏話など交えつつ書いてみる。


■MOHAAを始める

MOHAAは人生でも一位二位を争うほど長く続けたゲームだ。
足かけ2年以上やったのではないか?

最初はプライベートライアンをモチーフにしたゲームということで始めた。

が、マルチで対戦をするうちに、G-7とかいう人に誘われてクランにはいることになった。
それがこんなに長いつきあいになろうとは!
UBCSに入ってからの歴史は、旧UBCSのHPに私が書いたものがあるのでそちらを参考にしてほしい。

http://ubcs.s3.xrea.com/history/

ここでは主に裏話を語ろうと思う。

クランに入る前はもちろんソロで活動していたわけだが、そのころからWARZONEはあった。
まだそのころWARZONEは後にMOHAAの主要鯖となるほど有名な鯖ではなく、どちらかというと過疎状態にある鯖だった。PINGはよかったけど。
むしろ秘密基地鯖のほうが人が集まっていた。

いつのころからか、秘密基地鯖ではリアル設定にし始めたため(一撃で死ぬようになったため、枢軸のSTGが凶悪となった)、あれがWARZONEへ人を移す一因となったのではないか、と推測している。

さて、そのWARZONE過疎時代の話。




■WARZONEソロ時代

まぁ正直MOHAAのマルチもまだあけぼの時代で、それほど強い猛者はいなかったように思う。
ほとんどの場合で、スコアでは上位を取れていた。
だから自分と同等くらいのスコアを出す人間は強烈に記憶に残る。

WARZONE時代に記憶に残っているのはBeauty&Stupid氏とJunlemon氏だ。
まぁ強かった。
この2人と遭遇すると、勝てる確率は5:5だった。

ほとんどの人とは8:2くらいで撃ち勝てる自身があった頃なので、記憶に残っている二人だ。
まさかその二人が後に同じクランになろうとは!!
2人とも後で聞いたところでは俺のことは覚えてなかったようだが、まぁ普通そうだろうな。
やはりMARATHONユーザーとして、自負心があるCASTERだからこそ妙な対抗意識を勝手に燃やしていたのだろう。キモイことだ。


あぁ、そういえばOBJという形式をやったのはこれが最初だ。
NOLFにも似た形式があったが、NOLFでは双方ともにOBJがあるような状態だったため、ここまでカンペキに攻守が決まっている形式は初めてだった。



■UBCS入隊

さて、そうこうしてるうちにUBCSへ入隊。
正直、入隊当初は自分はG-7氏よりは強いと思いこんでいた。
どっかの鯖で誘われたんだが、そのとき撃ち勝っていたと思う。
まぁ勝っていたからこそ、強いと思われて誘われたのだろうけど。

ところが入隊してからG-7氏のやり方に気づいた。
この野郎、セコイ戦いをしやがる!


例えば、当時の私としては、戦闘は双方動いてる状態からの撃ち合いになるのが常識だった。
CAMPという概念は毛頭ない。
待ち伏せとか卑怯だ!と思っていた時代だった。

G-7氏の効果的な待ち伏せにはほんとにイライラした。

が、そのうち勝つためにはこっちも待ち伏せじゃ!と思うようになり、少しずつ各MAPの待ち伏せポイントを習得するようになる。
効果的な待ち伏せポイントってほんとにあるものだ。
「狐狩り」のメインストリート奥の枢軸狙撃ポイントなんて、ほとんどトーチカだもの。



■「G-7マニュアル」

ところで、UBCS後期には見られなくなったが、UBCS初期ではさかんに隊長による「マニュアル」講義が行われていた。
各MAPでの集団突撃方法を、TS2を通して口頭で伝授されるのである。

例えば、「狐狩り」では、メインストリート奥の建物に立てこもる狙撃手を倒す時は、必ず左側の廃墟から隊員全員が一斉に突撃し(一斉でないと撃たれた隊員が無駄死にになるから)、まず手榴弾を建物内に投げ込んでから突撃、という方法が取られた。
文章で書くとわかりにくいかもしれない。

「V2」では、連合左からの突撃口に対し、正面と右にドアがあるが、決して右のドアを開けてはいけない。枢軸が2階から投げ込む手榴弾が、トラックの荷台を伝ってそのまま中へ入ってくるからである。
これを食らうと全滅する可能性まで出てくる。
また、基本的に2階へ上がる方法は螺旋階段を「歩いて」あがる方法がメインだった。
ハシゴを上がるなら、手榴弾をハシゴの真下ではなく、トラック側から投げて安全確保してから。
トラック側から投げれば、手榴弾を避けようと欄干へ出てきた敵兵を、SMG等で仕留めることが可能だからだ。

ちなみにV2での右側からの進行ルートは基本的にUBCSでは御法度だった。
地形的に、枢軸がきちんと固めたら絶対侵攻不可能だからだ。
野鯖ならともかく、クラン戦では通用しない。

まぁ語りはじめたらキリがないが、このほかにも色々「マニュアル」はあった。
いずれ機会があったら全部書くとしよう。MAP別に。
「マニュアル」を破ると、TS2から容赦ない隊長の罵声が飛ぶこととなる。
私の場合「CASTERちんだめだよー」くらいだったが、他の人だと、
「オイコラ、NGA、テメエナメテンノカ」
とか怖いセリフも聞こえることがあった。




■クラン戦

が、この訓練がいかに有用だったか、は最初のクラン戦、対2-st戦で実証される。
V2での連合側右側侵攻を試みる隊員は一人もおらず、逆侵攻を試みた2-st隊員が、UBCSの待ち伏せにかかって全滅するという場面があった。
隊長がTS2で「連合SPOWNポイントでのCAMP」を指令した結果だったが、的確だったと言える。
というわけで最初のクラン戦は勝利に終わった。
個人の力量では余り差は無かったように思える。なんだかんだいいつつも2-stのメンバーは強かった。
が、クラン員全員の連携ではUBCSのほうが上だったように思う。
つーかこのころが一番連携できてたわ。
ほとんどの隊員がTS2使ってたし、隊長がいたし、統制が取れてた時代だった。

少し後になるが、FUBARという格下クランとやったときなんか、ほぼ圧勝だった。
(このときはCASTERはでてないがToT)
下の相手メンバーのHPを見れば、一目瞭然だ。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~dan/nikki36.htm

長くなった。
MOHAAについては語り尽くすのは一回では無理だ。
また機会があれば続きを書こうと思う。